離島における人間関係の濃さのメリット・デメリットについて考える

環境

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はじめに

これまでもこれが気になる人は離島に住むのをやめた方がいい5選や、【意外と高い】離島での住まいについてでも触れてきましたが、離島に限らず地方では人間関係が濃密です。

わたし自身が他人に興味がないこともあり、今までは人間関係の濃密さについてどちらかというとデメリットとしてしか取り扱ってこなかったような気もします。

一方的な視点だと考え方に奥行きが出ないですし、物事の全体像もつかめないと思いましたので、今回はしっかりとメリットも考えていきたいと思います。

 

メリット・デメリットを考察するために、わたしの主観だけでなく、一定のデータをもとに研究している大学の紀要(学術雑誌)、2つを参考にしながらわたし自身の考えも織り交ぜていきます。

参考にした紀要は以下のとおりです。

塚田みちる, and ツカダミチル. “小豆島らしい子育て環境についての調査報告 ー 「島出身の母親」 と 「嫁いできた母親」 の語りの比較から一.” 神戸女子短期大学紀要論攷 62 (2017): 65-77.https://suica.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=104&item_no=1&page_id=13&block_id=21

↑筆者の大学に入学した学生がストレスで疲弊した際に学生の故郷である小豆島へ帰省することで元気になったことに着想を得たもの。

同じ離島、また島出身者と、島外から嫁いできた母親を対比することでわかるメリット・デメリットの捉え方の違いなど、ほぼほぼわたしの離島と似通った面も多かったです。

主に現役世代のメリットとして語られる「子どもの育てやすさ」について考えるために参考にさせてもらいました。

北村潔和, and 安田悦子. 田舎に住む高齢者の生活意識調査. Diss. University of Toyama, 2007.https://toyama.repo.nii.ac.jp/record/659/files/01-12_2-1_129-135_2007_ver2.pdf

↑高齢者世代にとってのメリットを考えるために参考にしました。

この調査結果については意外な点も多く、わたし自身の気づきとなる面も多かったです。

書籍としては、「最高の体調」(鈴木祐:著)を参考にしています。

結論、人間は社会と繋がりを持ち、そこに貢献することで幸せを感じることができるらしく、離島を含めた田舎では人間関係の濃密さによりそれが実感できる機会が多い。

文字にするとかなり陳腐になってしまいましたが、一つずつ見てきたいと思います。

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子育て世代におけるメリット

子育て世代において濃密な人間関係であることのメリットは「子どもを育てる上での安心感」や、「子育てのしやすさ」といったものが挙がってくるかと思います。

塚田みちるさんの紀要の中では顕著な特徴として「その地域に古くから繋がっている社会的ネットワークによってつくりだされる『子どもを守ろうとする風土』」と表現されていました。

同紀要でのアンケートにおいても「近所付き合いの緊密さ」は島内外問わずメリットとされています。

これに関しては共通しており、子どもは無条件に守るべきものであり、地域みんなで見守り・育てるものだという雰囲気があります。

そこには親から見た子どもに対する家の外での高い安全性という「子育てのしやすさ」が感じられていると思われます。

もう一つ、島出身の親からメリットとしてあげられたのが「自然の豊かさ」と「時間の流れがゆったりとしている」でした。

これは進学や就職等で一度島外へ出た親が都会で感じた忙しなさに違和感やストレスに関係しているのではないかと考えます。

島を出るまではわからなかったけれど、あそこはとても居心地がいい場所だったんだと気づくわけです。

ですので、この「自然」や「ゆとり感」といったものは親自身のためのメリットなので、島出身の親からの意見として顕著だったということでしょう。

子育て世代におけるデメリット

少し人間関係と離れてしまいましたが、デメリットについて見ていきたいと思います。

島出身者やそれ以外の方関係なくデメリットとして挙げられていたのは「近所付き合いの難しさ」でした。

メリットが「近所付き合いの緊密さ」ですので、まさに表裏一体です。

「緊密」であるが故に息苦しさや、合わない人とでも付き合わなければいけないという「難しさ」が生まれることがある。

小さなコミュニティーになればなるほど一体感という名の同調圧力が強まり、影響力のある人に疎まれると、みんなから一気に避けられるというのは一定の傾向としてあると言えるでしょう。

「なんでも知っている」を考察する

島の人は住んでいる人のいろんなことを知っています。

これが気になる人は離島に住むのをやめた方がいい5選では、他人の車のナンバーを覚えていることを「島民総オービス」と表現しました。

一方このことを塚田氏の紀要の中で「点と点がつながって線になる」と、島外出身者は表現していたようです。

それをもって「血縁関係になくても知っていることによりどこかで誰かにつながっているという目には見えないつながりが網の目状に張り巡らされていてお互いを支えている」のではと考察していました。

しかし、わたしは離島では血縁関係こそが人間関係において最優先されていると感じています。とはいえ、それは地方に限ったことではないと思われますが地方ではその傾向が顕著だと言えるでしょう。

以下は、あるおじいちゃんとの初対面での会話です。

おじいちゃん「あんたはどこの誰ね?」

わたし「〇〇地区の〇〇(名字)です」

おじいちゃん「親はなんていう名前?」

わたし「〇〇です」

おじいちゃん「ということはあんたのじいちゃんは〇〇(名前)だね。あのじいちゃんはいい人だった」

おじいちゃん「ということは、あんたは遠い親戚だがね」

これ、本当によくある会話のパターンなんです。

体感では出現率100%超えてます。

離島の人は周囲の人たちを「知らない誰か」にしません。

自分の知っている範疇にまず収めようとしているなと感じます。

さらに「親はこういう人だから、子どもも同じような性格のはず」といったことまで考えているふしがあります。

親兄弟のことを聞いていく中で、初対面でその人の内面まで判断している。

ある人は「親を見たらその子どもがどんな人か大体わかるでしょ」とはっきり言っていました。

わたしもそれ自体はあながち間違っていないと感じています。

子どもを見ていると、教えてもいないのに自分とそっくりな面が出てきてびっくりすることが多々あるからです。

自分の遺伝子が半分受け継がれているのだから当然といえば当然なんですが、つくづく遺伝というのはすごいなと痛感します。

そういったことを総じて妻は「島にはカースト制度がある」と表現していました。

言葉としては過激ですが、ある意味言い得て妙だと思ったものです。

その人の家柄というか、一族の性格柄というものを島民は判断していて、それは簡単には覆せない。そんなイメージです。

親世代及び高齢者世代におけるメリットについて

だいぶ話がそれましたが、濃密な人間関係についてです。

塚田氏の紀要の中でも触れられていましたが、離島での子育てには祖父母世代の「孫育て」が不可欠であるとありました。

これは本当に手厚く、親と同等のレベルで孫の世話をしているところも少なからずあるくらいです。

加えて子ども世代と同居している世帯も一定数いることもあり、孫と関われることは「生きがい」であり、同居についても望んでいるんだと思っていました。

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しかし、北村・安田、両氏の紀要によると、自分の子どもであっても気を使うために同居を望んでいないケースの方が圧倒的に多いということでした。

この結果はかなり意外なものでしたが、よくよく考えてみれば当然のことであり、夫婦としてのプライバシーなりを守りたいというのは当たり前だと思いました。

近親者であっても同居という密接すぎる距離感は望んでいない親世代にとっての人間関係の濃さのメリットとはなんでしょうか。

北村・安田氏によると「畑仕事や近所の友達との話が楽しみ」であると回答した人が多かったようです。

塚田氏の紀要とも関連しますが、地方になればなるほど、地方の中の地域ごとにさらに小さなコミュニティが形成されます。

そのコミュニティでは親戚や昔から住んでいる人たちが大部分を占め、顔馴染みであるケースが多いです。

そうなると顔馴染みどころか幼馴染すら近所に住んでいるといったことも珍しくありません。大人になってもです。

「近所の友達との話」がしやすい環境であることは言うまでもないでしょう。

親世代における濃密な人間関係のメリットは「他者との繋がりやすさ」と言えるかもしれません。

一方、デメリットについては北村・安田氏の紀要にその記述がなかったため、塚田氏のものを準用するしかなさそうです。

つまり、親世代においてもデメリットは「近所付き合いの難しさ」であろうということです。

これについては世代が違うからといって大きな違いが出るとは考えにくいです。

「あの人とあの人は昔もめたから仲が悪い」といった話も耳にすることがありますので、むしろ歳を取ればとるほどその傾向は顕著であるといえそうです。

飲み会と人間関係について

また全世代に言えることですが、飲み会の多さも人間関係に関連しているのではないでしょうか。

以前、【ある意味究極】離島での飲み会代を抑えるには?では離島における飲み会の頻度を「部活くらいある」と表現しました。

職場、地域、友人、同級生、同じ趣味を持つ人たち…こういった方達との飲み会が頻繁に開催されています。

ことあるごとに、何かにつけて、定期ないし不定期にあり、さらにはそれぞれに忘年会や新年会もあるわけですから、相当な回数に上ります。

ここで見えてくるのは離島(地方)の人たちは自分や他人をカテゴライズして、それぞれの属性というものを強く意識しているということです。

その属性を多く持つことで他者や社会とのつながりを感じていて、それを実感するために必要なのが飲み会だと考えます。

各属性における「俺たちは仲間だよな?」という親和性の確認と、「俺の考えは間違ってないよな。みんなそうだよな?」という価値観のすり合わせこそが飲み会の意義だったのかもしれません。

離島の地域ごとにおける人間関係の濃淡の差について

塚田氏の紀要の中に同じ島の中でも居住地区によって内容に違いが見られたというものがありました。

それはスーパーやコンビニなどの生活インフラが比較的整っている地区と、そうでない地区においての違いであり、その距離は車でたったの10分程度とのことでした。

これについてはわたしの実体験からもかなりうなずけるもので、島の中でも人間関係の濃淡には確実に違いがあります。

わたしは島の中でも比較的人口の多い地区の出身なのですが、そこから引っ越して10年ほどは人口200人くらいの地区で暮らしていました。

そこでの人間関係の密接さはやはり段違いで、「むせかえるような」距離感だったと思います。

ただ、そこでの生活が嫌だったかというとそうでもないんです。

人口200人の地域で暮らすということ

このレベルになると息子が小さかった頃、留守番できずパニックになり家を飛び出した時、近くにいた年上のお兄ちゃんが来て面倒見てくれるなんてことが日常茶飯事になります。

わたしもしっかりと「安心して子育てできる」メリットを受けていたんですね。

そしてここで開催されるのが、地域の清掃、地域の祭り、といったもので、それこそ地域住民総出で行われます。

厳密には総出と言っても、高齢者の方など参加できない人もいるため40〜50人程度でさまざまな行事を行なっていきますので運営するための人員は常にギリギリの状態といえます。

最初は「自分も参加しないといけない」といったある種、義務感のようなものだったのですが、回数を重ねるごとにだんだんと変化が出てきました。

「参加するのが当たり前」という責任感に近いものがあったように感じます。

意識の変容

こうなると不思議なもので、「自分は頼りにされている」ような「自分が参加しないといろいろな行事が成り立たない」というような勝手な自信みたいなものが芽生えてきていました。

いうなれば自分という存在が必要とされていて、その組織の中で「私」が機能していることが自分自身でも実感できる、という感覚でしょうか。

「ちゃんと役に立っている」という自負は言いようのない充実感を感じさせてくれていたように思います。

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さいごに

今回は離島における人間関係の濃密さについて考えてみました。

当初はメリットやデメリットを経済的な面から切り取ろうと考えていたのですが、どうしても損得だけでは説明しきれない部分がありそうです。

それは人間は社会的な生き物だということです。

あのアインシュタインですら「利他こそが人間の生きる価値であり、生きる意味だ」という趣旨の言葉を残しているのですから、社会とのつながりを持ち、他者への貢献を行うことで充実感や幸せを感じるというのは一つの真理であるようです。

そのような面から考えると、人口の少ない離島などにおいては地域活動などを維持するため、なかば強制的に社会活動に参加させられるという環境にあります。

ただ、社会と関わることは人間の根源的な欲求を満たすことでもあるため、都会では得ることのできない「自分が必要とされている」という感覚を感じることができる。

その一方で人間関係が濃密で近いためにトラブルがあった場合にはストレスを感じることもある。

このようなところが離島における人間関係の濃密さについてのメリット・デメリットの一つだと考えます。

経済的な面で見ると、物的に不足のある離島において人間関係が濃密になるのはそれを補うためであるともいえます。

これは塚田氏の紀要および私自身の経験からもうなずけます。

人口の少ない地域では自分で育てた農産物を誰かに分け与えてもらったりする機会が格段に多いですし、比較的人口の多い地域では人と人との距離がそれほど近くないです。

離島の賃金は低いですが、それでもそれなりにみんな生活できています。

ということは考えようによっては「おカネ」という固定観念から抜け出すという意味で経済的自由に近い環境なのかもしれません。

これはある意味裏ワザなのではないでしょうか…

もう少し深掘りする必要があるかもしれませんね。

では、経済的自由を目指して頑張りましょう!



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